紫頭巾の占い師

関西には、オコソ頭巾で有名になった元宝塚女優の占い師、泉アツノさんがいる。歌手やタレント、クラブホステスなどを経験したあと、白蛇霊感占いで一九七五年にデビュー。ヘビの置物に拝礼して叫声をあげ、声帯を絞り込んだようなウラ声と独特の口調でヘビのお告げをしたあと、「こなの出ましたけど……」と、とてもチャーミングな笑顔を浮かべてくれる。

が、紫頭巾をかぶった占い師の本家本元と思える女性に、東京・浅草の国際通りで出会った。その女性は一九五九年頃から、和服に頭巾にダテメガネというコスチュームを通してきたという。商売用の衣裳を脱ぎ洋服に着がえれば、人の良さそうな普通のオカミさんで、頭巾ルックに別段たいした理由はなく、やはり特徴づけるためだそうだ。

浅草の紫頭巾さんが「占場」にしていた場所のすぐ近くには以前、『銀河』というキャバレーもあり、国際通りの賑わいに華を添えていた。いまは夜になれば歩道全体が暗く寂しく閑散としてしまい、自動車の喧騒に圧倒される歩行者は、何かミジメな気分さえおいてくる。

しかし、この国際通りが、浅草全域が、どんなにすたれようが、彼女は決して場所を移ろうとはしなかった。

一人のお客も来ない日も、熱帯夜の蒸し風呂のような日も、蚊取線香の煙をすり抜けた蚊に刺されようが、寒風が強く吹こうが、毎日夜の十二時、夏は二時過ぎまで、座り続けてきた。

「ふいに来るお馴染みさんもいるし、心配だし……」と、紫頭巾さんは、それが当然のような笑顔をつくる。一見のお客も固定客になる見込みを考えて、街占者は自宅の電話番号を教えておくのが普通だが、お客によっては予約を嫌い、ふらりと街で再会した雰囲気で占ってもらいたいという人もいるのである。

街占者が決まった場所に出没し始めると、その道の風景には欠かせなくなり、いつも居るのに居ないとなると、ひどく気にかかるものだ。とにかくそこへ行けば必ず居るというこの存在感は、占いに無関心であっても安堵の情を人々に与える。これが、路上生活者と街占者の決定的な違いといえよう。一方は排除したい衝動にかられ、片方は永遠に居続けてほしいという願望すらいだいてしまう。

紫頭巾さんは長野県の農家育ちで、一九五五年に上京。特別な理由もなかったが、「高島」を名乗る易者に教えを受け、街占者になった。女占い師としては全国的にみても古参に属す。だからではないが、名刺は「高島易断婦人部長、浅草易断婦人部会長、宗家高島松園」だ。

「生活に困って始めたわけじゃないしね。お金を儲けようとも思ってないのね。小さい頃から人の顔を見すえては、あれこれ講釈するのが趣味だったようだけど、これも神様が導いてくれた仕事。だからこれまで遠くへ出張したことも、旅行もしたこともありません。自分の身体であって自分のじゃあないのね。近くのお不動様に御参りするのが息抜きかしら。とにかく毎日出ています」

まだ世の中に女占い師が少なかった昭和三十年代、神の代理人のような紫頭巾さんにあろうことか、酔っぱらいが「ナソダオメー……オンナのくせに風呂敷なんかかぶって、こんなところに座りやがって……フザケルナッ。ナソダッテンダ……」とがらんできたことがよくあった。

「そのたびに見台と商売道具を持って逃げたんですけど、そういう人に限って、あとでいい事ないね。悪かった、と謝りに来た人もいますよ」

いろいろな人に出会ったなかで、最高のお客さんは、いまの旦那様だとか。御主人は商売をしていて、占い者としての知恵をさずけたりもする。

火災、盗難、金銭トラブル、詐害、事故、ケガ、病気、愛情事件、仕事のつまずきなど、紫頭巾さんに持ち込まれる相談も限りない。そうしたなかで、最近めっきり増えたのが離婚相談だ。

「若い人にはもっと家庭を大切にしてもらいたいね。すぐに別れると言いだしたり…マジメな旦那さんの奥さんが浮気したり…いけませんねえ。人生にはいろいろなことがあるからね。家庭を大事にして、こらえて辛抱して努力してほしいね。私は離婚は絶対にすすめないね。歯止めをかける言葉をかけてやります。それに、ちょっとツライことがあると生命を粗末にする風潮があるでしょう。死ぬほど苦しんだ人ほどいい人生を歩めるんだから、イノチ、大切にしてほしいね……。街頭に出ていると、いろんな体験もするねえ。売り飛ばされそうになっている娘を助けたり、道端に寝転がっちゃって、放っておいたら死んじゃいそうな泥酔のオッちゃんにタクシーを拾ってやったり……」

話を聞いていた浅草の喫茶店のママさんが、紫頭巾さんに「センセー、おかげ様でいいお店が見つかりました!」と、はしゃぎながらペコペコと頭を下げた。新しいお店を、紫頭巾さんが占いで見つけてやったのだそうである。